対話・たいわ・体話

私のクラスに初めてこられた方のほとんどが

最初に、ちょっとびっくりした顔をされます。


それは、クラス開始時間になると

始まってすぐに、体を動かし始め

私が動かずに、皆さんの動きをじっと観察するから

そして、そのまま動かし続けるから

だと思います。


先生の自分のお話し、とか、

お手本、とか

出来るところを見せる、とか

コツを教える、とか


そういうことをほぼ省いているのです。


指導者側からの

悟りの境地に至っていない

聞きかじりの自論や

体の現状ではなく

目標であったり上達や自分本位の変化を目指す

コツのようなアクションは

目の前にいるあなたを邪魔してしまう。


からです。



実際に私自身がそのようなクラスに参加するのは

とても、なんだか、自分の時間にならなくて

好きではないのです。

自分の大切な時間

自分の為の時間

ケアをしたい時間

高めたい時間なのに

邪魔がはいってしまう、奪われてしまう。

大事な時間なのに。


(相手)動く→(私)必要なものを提供し→(相手)動く

やってみて、感じてもらい、私も感じて

そこから話し合いをするかのように

個々に指導が進みます。

〈受け取り、提案し、探り合う〉

そんなこともします。



私が必要とするのは

一方方向から、投げかけることよりも


握手をするような

キャッチボールをするような


対話・体話。


話しを聞き

相手の顔色・息遣い・肌の質・筋肉の状況・全体から発することに

集中し

進めていきます。



こうなったのは、

10年と少し前。


今でも後悔をしていることがあります。

母が余命宣告され、いよいよだと入院生活となったとき

私は母に、極力〈死〉や〈悪化〉を気にさせないように

良くなることへ意識を向けてもらうように

なんなら、自分が治すことを目指して

最後の最後まで過ごしました。

これは私の一方方向の自分勝手な望みだけで動いていたこと。


母の、毎日に対する・自分の状況に対する・未知の〈死〉に対する

悲しみや怖さや、後悔、残していきたい想いを

ちゃんと聞いて受け取ることをしなかったのです。

その想いを自分に秘めて

母は次のステージに旅経つことになったと感じています。


一度だけ

それこそ、母のためにと様々な勉強をしていた自分が

死について、その瞬間について母と話したことを覚えています。

とても勇気のいることでしたが、

それこそが、母の立場に立ったことだったのかもしれません。

母がとても安心した顔をしたのを覚えているし

もう少し生きてみたいわ。

いろいろ仕方ないんだものね。

そんな事を聞いたと思います。


私の想いを出すことで、自分が満足し守られる代わりに

母を覆ってしまった。

なにより大切なのは

母が一瞬でも楽になったり、解放されるのは

対話そして

母の中にあるものを聞くこと

だったのです。


それ以来、自分の立場や行っていることと格闘しましたが

それがあって、今が成り立ちました。



私の立場は

役職名として

先生、とか、指導者、とか、あるんですが


治してくれる人

と思われたり

治す人

と思っている人たちもいて



でも、私はそんなようには思えず


あくまで、

そこにあるあなたの体が主役で

全てを知っているのがその体と本能です


と思っています。



だからこそ

まず、

私もあなたも

体と対話する

『体話』

から全てが始まります。


いろいろな概念は必要がなくなる。

むしろ全て外していきたいのです。



そうすると、

状況は別として



体の気持ち良いが現れます。



必ず。




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